低迷する企業がCI(コーポレイト・アイデンティティ)を導入して活性化を図ろうとするように、障害者もイメージアップ作戦を展開してみよう。
まず、名前からしてダサイ。暗いし、カッコ悪いし、堅苦しい。まさに世間から嫌われる3Kそのものである。けれども、一部の福祉の専門家が提唱している「障碍者」というコトバに変えても、あんまり意味はないと思う。どっちにしたってなにやらムズカシ的だし、漢字ばかりで取っつきにくいことには変わりない。
それなら思い切って「SHOGAISHA」なんてのはどうだ。これでは読めないという不満が年配の方から上がりそうだから、少し妥協してカタカナで「ショーガイシャ」。これならピッタリくる感じだぞ。
次には、ビジュアル的なイメージアップを図らねばならない。これは。キレイどころのショーガイシャを「アイドル」として売り出せばいい。そういう人材だったら、たくさんいるのだ。
たとえば、高校一年生の時に病気で右足を切断してしまった上田直子さん。とっても明るくて可愛いから、顔だけ見てると彼女が障害者であるなんて全然思えない。彼女が松葉杖を使って階段を上る姿をみて初めて、「あっ、そうだったのか」とショックを覚えるのである。すごいインパクトではないか。
彼女に「松葉杖を使う生活で一番苦労していることは何か」という質問をしてみたら、「デートの時に手をつなげないこと」という答えが返ってきた。いやはや、まいった。しかし、妙に説得力がある。どんなに他の人が頑張って声を張り上げてみても、この彼女の一言には負けてしまう。アイドルとしては、最有力候補に挙げたい。
ポリオによる四肢体幹機能障害の折原由美さんも、イメージアップのためには重要な存在だ。なんていったってキレイだし、話していてこんなに楽しい女性は滅多にいない。健常者の旦那が、4年半にわたったという両親の反対を押し切ってまで、彼女と一緒になりたかった気持ちはよくわかる。
この2人は日曜日になるといつも公園へ遊びに行って、スケートボードで遊ぶ子どもたちに混じって「車いす2人乗り」ごっこをしているのだ。2人乗りって、おわかりだろうか。旦那が由美さんの車いすの後ろに乗っかったまま、思い切り坂道を下っていくのである。スゴイ迫力。そして、彼女の言う台詞が面白い。「これって、車いすのアベックじゃないと絶対にできないのよ。この時ばかりは、いいだろーって自慢しているの(笑)」
なんだかこういう話を聞いていると、「障害者」という、あの漢字のイメージがどんどん崩れ去ってくる。これだ、これだ。まさにこれこそ、イメージ改革ではないか。やはりキレイどころのアイドル的ショーガイシャをつくると、みんなの目が変わってくるようだ。どんどん彼女たちの声を集めて、生活の様子を語ってもらおう。そうすれば、障害者のイメージは一挙にプラスの方向へ転じていくかもしれないぞ──。
こんな考えのもとに障害者アートバンクでは、晶文社より『障害者の日常術』というインタビュー集を発行します。普通に生活する普通の障害者28人の声を集めた、おそらく世界でも初めての「ショーガイシャ本」であります。
いままでの「障害者本」のように、お涙頂戴的物語や、感動秘話の寄せ集めではありません。また逆に、障害者がコブシを振り上げて人権確立のための問題提起をするといったシーンも一切ありません。この本で語られるのは、あくまでショーガイシャたちの生活に密着したお話しばかりです。たぶん、福祉の専門的見地から論評すると、ほとんど意味のない本として位置づけられることでしょう。
しかし私は、その「意味のないところ」に意味があると考えています。あくまでもこの本の目的は、「ショーガイシャのイメージアップのためのワンステップ」にすぎないのですから。たかがワンステップ。けれど貴重なワンステップです。障害者のことなど、それまでまったく興味を示さなかった人が、本書を読むことでどれくらい「楽しんで」もらえるか。今後のカギは、そこにこそあると思うのです。
**************************************************************************
以上は、平成3年発行の『看護』(日本看護協会)という月刊誌の「今月のことば」として、戸原が記した文章です。当時29歳だった若造が書いた文章としてはよく書けている、と褒めてあげたい(笑)。「障害者」の表記問題も、このころからちょうど話題に上り始めていました。いまだに私が「障がい者」という表記を好まないのは、本エッセイの考えが基本となっています。つまり、大切なのは表面上の表記うんぬんではなくて、一人ひとりがもつ個性や魅力をどう表現していくか。そこに尽きるのではないかと思うわけであります。