- 生きるチカラ
- -ポストポリオを乗り越えて-
- 四宮紗代/著
- 四六判 226ページ
- 並製本
- オンデマンド印刷
- 制作部数:100部
19歳でポリオを患い、「鉄の肺」という機械で生き延びた
私は、19歳の時にポリオを患いました。ポリオというのは、「小児麻痺」とも言われるほど、主に五歳未満の子供がかかる病気(90%以上)です。ポリオウィルスの感染によって発症する感染症ですが、ワクチンの普及によって、現在の日本ではほぼ根絶されました。でも一九六〇年当時には、全国でポリオの患者数が六〇〇〇人を超えるほどの大流行が発生したのです。
小さい頃の私は、おてんばを絵に描いたような少女でした。木登りやかけっこが大好きで、男の子たちとどろんこになって遊び回っては親に叱られていましたね。
高校を出てから銀行に就職し、毎日仕事帰りに大阪の町を徘徊していました。喫茶店や、百貨店巡りをしたり、バレーボールをやったり…。遊ぶのは同僚の女子ばかりで、色気はまったくありませんでしたけれど、とにかく職場からまっすぐ自宅に帰った覚えがないくらい、遊び回る毎日でした。
私がポリオにかかったのは、そんな青春時代まっさかりの頃なのです。ある日突然、割れるような頭痛に襲われ、呼吸困難になり、手足にもまったく力が入らない。意識朦朧のまま、病院に連れていかれ、私は「鉄の肺」という機械に入ることになりました。
これはドラム缶を横にしたような外観で、その中に首から下の全身をすっぽり収めます。呼吸のできない私に代わって、人工的に呼吸してくれる装置なのです。私はこうして約10ヶ月の間、ずっと寝たままの生活を送るようになりました。
当時の私を支えていたのは、そんな必死の思いです。
辛い人生を過ごしてきたから、小さな幸せを大切に感じられる
数ヶ月の入院後、私がなんとか鉄の肺から脱出して、退院し、何年ものさまざまなリハビリ生活を得てようやく落ち着いたと思ったら、今度は肺炎をこじらせて生死の境をさ迷うことになります。もともと一度ポリオを患った患者は、歳を取ってから病気が再発すると言われているのです。
気がついたら、体中管だらけ。鉄の肺に入ったときに一度は死を覚悟した私でしたが、今度こそ本当に人生は終わるものだと思いました。しかし、ここでも私は死ねなかったのです。なんとか奇跡的に体が快復し、退院したものの、私の看病で精神的にも疲れてしまった父の病気(痴呆化)が進行し、老人ホームに入居することになります。私一人ではとても生活することができません。そこで仕方なく、私も父と同じ老人ホームに住むことを決めました。
ホームでの生活は、私にさまざまなことを考えさせてくれます。人間の幸せについて。日本の介護問題。ホームで暮らす人たちの毎日。そして、私をサポートしてくれる素敵な人たちとの出会い…。平凡な毎日ですが、その中でもささいな幸せを見つけることで、生きる喜びが見つかります。生きる喜びが見つかれば、毎日が楽しくなります。
私はこれまで、私の人生はなんて不幸の連続なんだろうと悲しんできました。人の人生は生まれたときから不公平にできているなどと、悲観もしてきました。もちろん今でもそう考える私もいますが、辛い人生だったからこそ、他人に対する優しさを強く持てるようになった気がします。どんな人に対しても、いつも相手を尊重して、同じ目線で謙虚に語ることができるのです。
ネットを通じて知りあった全国の友人たちに読んでもらいたい
本書「生きるチカラ」は、そんな私の日頃の考えをつれづれなるままに文章化したエッセイ&ポエム集になります。以前、俳句集を出版したことがあるのですが、今回は第2作目。多くの友だちを作りたくて始めたパソコンのおかげで知り合った日本中のお友だちに、ぜひ読んでもらいたいですね。
自分の本を売るというのも気恥ずかしくて、前作はほとんど贈呈しちゃいましたけど、今回はちゃんと販売してみました。ブログやメールを通じて、一生懸命宣伝しているのですよ(笑)。実際に注文が入ると、とても嬉しいものですね。
これからもたくさんの人たちとの出会いを楽しみにして、私は出来る限り生きていきたいと思います。不幸の連続だったと嘆いていた私の人生にも、きっと意味があったのだということを、少しでも証明するために…。
本書には、同じポリオ患者仲間でもある画家の太田利三先生の作品をたくさん使わせていただきました。私のこれまでの苦しみを、きっと誰よりもわかっていただける先輩だと思います。自然や子どもたちに向けた優しいまなざしに溢れた素敵な作品に彩られ、私の拙い文章がなんだかとてもグレードアップされた雰囲気になりました(笑)。