韓流ドラマ「グッドドクター」が面白い。このブログでなぜ韓流ドラマ?と不思議がるヒトがいるかも知れません。しかしこれは、れっきとした福祉ドラマ。主人公のパク・シオンは、サヴァン症候群で、人並み外れた天才的暗記能力と空間認識能力をもつ青年。幼い頃に出会った医師チェ・ウソクに医師としての能力を見こまれ、医師を目指すというじつに「ありえない設定」のドラマなのです。
こういうドラマの話を聞くと福祉関係者、とくに知的障がいの専門家は「いくらサヴァン症候群といっても、自閉症者が医者になんかなれるはずはないでしょ、キッ!」と一笑に付してしまうかもしれません。たしかに自閉症者というのは、他人とのコミュニケーションがもっとも苦手な人たちです。このドラマの中でも、主人公・パク・シオンは、患者を救いたいという一心で、レジデントとはとても思えぬ問題行動ばかりをやらかしてくれます。
たとえば主治医が不在(しかも科長という組織のトップ)であるにもかかわらず、患者の急変に気付いて再手術を提案、まわりの制止を無視して手術室に運んでしまう(手術はやむなく隣で手術中の教授が、同時に二人を執刀)。他科で治る見込みがないと判断された赤ちゃんを前にして泣き尽くす親に向かって「小児外科のキム教授なら手術できます」と言い放ち、許可なく転科させてしまったり。手術で救えなかった幼児の魂につきそいたいと、上司がいくら禁止してもずっと霊安室前に座り込んでいたり…。
パク・シオンの行動は、すべて病院内で問題となり、そのたびに彼を個人的な思いから試験採用した病院長の責任が追及されていきます。もともとパク・シオンは医師の国家試験にトップの成績で通過したのですが、その病歴が発覚して問題となり、不合格処分となっていました。子どもの頃に虐待されていたパク・シオンを救い出し、両親に代わって幼い頃から手塩に掛けて育てた病院長は、なんとしても彼を立派なドクターにしたかったのです。
問題行動と周りは責め立てるけれど、そもそもパク・シオンの行動はそんなに非難されるべき行動なのでしょうか? 一人の医者として、単純に患者を救いたい。そんな思いからストレートに動いているだけなのでは? これが、本ドラマに流れているメインテーマです。周りの空気を読めない(KY)、組織の事情を理解できない、といった自閉症ならではのコミュニケーション能力の欠如が巻き起こすパク・シオンの事件は、「良い医者とは何か?」という問いかけに変わっていきます。
そしてもう一つ、このドラマが優れている点をあげましょう。自閉症者の主人公・パク・シオンに対するまわりの差別と偏見が、しっかりと描かれているのです。幼い頃に受けた父親や友だちからの暴力。そしてレジデントとして働き出してからの同僚たちからの差別と偏見のまなざし。患者の親たちからの偏見。ドラマ後半からは主人公と、彼を弟のように見守る先輩女医との恋愛物語にテーマが移っていきますが、ここでも障壁となるのが彼の障がいです。
はたしてパク・シオンは、さまざまな問題を抱える中で無事にドクターになりえるのでしょうか? そして恋愛ドラマの行方は? 障がい者への差別と偏見問題を考える上で、じつはもっともその考えを根強く持っているのが医学関係者だと言われています。昔、あるハンセン病回復者から、そんな話を聞いたことがありました。
彼は「不治の病」と言われたハンセン病を克服し、隔離病棟からの社会復帰を果たした立派な人物でしたが、最後まで彼との交流を頑なに拒んだ人たちがいます。それは、なんと彼の病気を完治と認めた医学関係者たちなのでした。彼が医学的に完治したことは理解しているにも関わらず、「個人としての感情が許せない」というのです。本ドラマでもこれとまったく同じ感情を、病院のドクターたちが抱いていることをきちんと表現してるのが印象的でした。小児病棟の子どもたちからの信頼は絶大ですが、最後まで「主治医からはずしてほしい」と訴える親がいることも描きます。決して、きれい事だけで終わっていないのです。
あまり長々と口説く書きすぎたかもしれません。百聞は一見にしかず。自閉症児を描いたドラマとしては篠原涼子主演の「光とともに」があまりに有名ですが、韓流ドラマの「グッドドクター」も、それに負けない名作というべきでしょう。自閉症者の動きや発話などの特徴をみごとに再現したムン・チェオンの好演も、見ものです。彼がしょっちゅう叫ぶ「アンデンミダ(ダメです)」という韓国語は、ドラマ視聴後はすっかり我が家のマイブームになってしまいました(笑)。
◎「グッドドクター」は、有料動画サイトHuluにて全編(20話)視聴可能。